春霞塾 | 母の終活
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母の終活

母の終活

心臓発作で突然父が亡くなって5年。やっと母を神戸に呼び寄せることができました。

私は呉服商をしていた両親に育てられました。父が亡くなったとき、積もり積もった反物の山が実家にはたくさんありました。商売を止めたくても、「価値はあっても売れない在庫」を母が1人で抱えることになったのです。実家を出ていた私は、母と妹を説得して実家の当主になりました。在庫を処分し、母を仕事から解放させてあげる。あこがれの「高級老人ホーム」で豊かに暮らす、生涯たった1つの願いを叶えてあげる。私はその時決意したのです。

実家とは疎遠だった私が実家に戻ると、親戚のおばちゃんは私を見て「かすみちゃんがいる…。」と言葉を失いました。悪徳税理士とけんかしながら相続は自分の手で行い、母に代わって経営しました。80歳手前だった母は在庫をどんどん売りさばきました。当時私は教員をしていましたが、広島の実家に戻っては母と相談し、在庫清算事業を立ち上げました。心優しい妹は母の身の回りの世話を焼くため、年に数回帰省してくれました。

母のお眼鏡にかなう「高級老人ホーム」を探し始めたのも同じ頃。十数件は施設を回ったでしょう。介護認定を受けてない、商売を続ける能力のある元気な母が入れる施設。母は神戸出身だったため、神戸に帰りたがります。料金、サービス、施設の面で折り合う施設が見つかったのは1年前のことでしょうか。

母の終活をいつでもサポートできる日常生活が欲しい。学校を辞めました。自社ビルはどうするんだ、お墓は?両親揃っても売り切れなかった在庫はどう処分するの?これは連立方程式です。3人の知恵を集めれば解ける!夫の両親の介護経験のある妹がいろんな情報を集めてくれました。母は在庫を一反残らず売り尽くしてしまいました。すご!!私は総監督です。将来私が戻って来る自社ビル、お墓を残し、モノがなければ安心できない母に荷物を減らしてもらい、2回に分けて施設に荷物を運び込む計画を練りました。

母は狭い部屋に荷物を一杯詰め込んで、悠々自適な「神戸ライフ」を5月から始めました。神戸を一緒に歩くと、亡くなった祖父や祖母との思い出話をしてくれます。三宮の喧噪を離れ、施設に戻ってくると「こんな施設でも懐かしい気持ちになる…。」と言いました。数百人入居している「終の棲家」仲間との人間関係の調整を始めています。

私の在庫清算事業は売るべき呉服を失い、今や単なる私塾となってしまいました…。母はお嫁に来た時、取り漏れていた売掛金の回収から初めたそうです。夜中まで働いて、私と妹を10年間ずつ私学で学ばせてくれました。ビジネスを始めてやっと、両親の苦労がわかった気がします。

私が塾をやると言った時、母は全く心配しませんでした。広島の町を離れる時も、親戚やお友達とお別れをした時も、ちっとも感傷的になりませんでした。そして、神戸モスクでのフィールドワークから帰った来た私にこう言いました。「若い人といるとなんだか楽しそうだね。かすみ、私をお茶くみ婆さんに雇ってちょうだい。」

時々、おいしい玉露をいれてくれるお婆ちゃんが塾に登場するかもしれません。彼女こそ、ゴッドマザー和子さんです。