春霞塾 | ハンサムウーマン
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ハンサムウーマン

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彼女が春霞塾にやってきた。燃える強い目。ウエーブが美しい黒髪。ピンクのワンピースは鍛えられた彼女の体のシルエットをしっかりとデフォルメしている。週4回ジムで鍛えているらしい。朝活は英語を継続中。攻めてるぞ、彼女!

10年前に出会った。彼女はある大手塾予備校の大阪校塾長だった。若干30代。終日7センチヒールで走ることができる体育会系の「デキる女性」。私も彼女も子育て中で、仕事をする女性として、折に触れ近況を知らせあっていた。

フルタイムの仕事、それも教室の管理をする重い仕事をしながら、お嬢さんを育てる。家庭では食事を作り置きし、ベビーシッターさんを選び、お嬢さんの中学受験に伴走し、合格に導く。話すスピードが速いのは、彼女の思考が速いからなのだろう。「マルチタスク」という言葉が一般的でなかった時代、彼女はまさに複数の仕事を平行させて全てをこなせる女性だった。

中学校にお嬢さんが進学するタイミングで、東京転勤が示唆された。その話、彼女は受けた。パパに託せても、思春期の娘を残して東京でchallengeをする彼女の気持ちは理解されにくい。同僚や友達は、たくさんの「アドバイス」を彼女に授けただろう。

お嬢様は大学生になっていた。お嬢ちゃんはお嬢ちゃんらしく、自分の道を歩いていた。結果は一言。でも、彼女が重責を負いながら、毎週毎週帰省してたことや娘の顔色を見ることができない状況のつらさを誰にも言わなかったはずだ。だから、お嬢さんが大学に入ったとき、自分へのご褒美としてピンクの石をオーダーしてリングを作ったのだ。

男女雇用機会均等法が施行されたときには、私は既に専業主婦だった。性別役割分担。自分を追い込み、ぎりぎりまで努力することが大好きなのに、就職した瞬間私は「女の子」になった。支店で一番最初の大卒女子だった私を、銀行は育てるすべを持たなかった。さっさとコトブキし、家庭に入った。当然のことながらエネルギーを家庭で持てあまし、その後の人生は専業主婦が社会に出るためにできることは何でもやった人生となった。

彼女は8歳年下。とはいえ、社会的な成功と家庭の成長を全部やるための「鉄人パワー」をキャリア形成の中で育てていったに違いない。彼女は迷っていた。仕事がある段階を迎えていることに気がついているからだ。自分で道を選ぶのか、与えられた場所で咲くのか。

自分の人生は自分でつくる。今までそうしてきたでしょう。やりたい仕事には手を挙げる。それでいい。それがいい。