春霞塾 | shunkajyuku
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Author: shunkajyuku

かすみ先生、本日はありがとうございました。 京都近代美術館「没後50年 藤田嗣治展」を、春霞塾のオトナ遠足で鑑賞できたことに感謝しています。南出照美さんの素晴らしい解説があったおかげで、彼の生き方だけでなく、20 世紀という時代と進出先の欧米社会、そして当時の日本社会を彼を通して疑似体験できました。最高に楽しかったです。 フジタ氏と私の曽祖父は全く同年代人でした(1886年生まれ)。しかも同じ東京美術学校に通っているので、もしかしたら同時期に学校内ですれ違っていたりしたら面白いなと思っていました。 フジタは宇宙人ですね。現代人のようなミーイズムやセルフプロデュース能力。そして行動が裏目に出たとしても、祖国には戻れなかったにしても、最終的にはなんとか時代を生き抜いたそのサバイバル能力。「あの時代」に生まれてしまったからこそ面白いですね。 今後の自分の生き方にもヒントを与えてくれる刺激的な鑑賞体験でした! 俵屋旅館のプロデュース「点邑」のTempura Lunch、そしてティーサロン「遊形 サロン・ド・テ」も素晴らしかったです。 オトナ、最高。オトナ春霞塾、最高。 ...

今年春霞塾でお預かりしている受験生のうち、2人理系女子がいます。 一人は薬学部を目指すもえりん。1年半前の夏、もえりんとママと私はオープンキャンパス中の薬大の門をくぐりました。愛らしいのに、努力家で妥協を許さない芯の強さが、私達大人の自慢です。一人でこつこつと苦手な化学に取り組んでいる彼女に、3年生の春力強いサポートの手がさしのべられました。松浦俊介先生。ちょっとアツ苦しいのですが、指導力のある理科の専門家です。もえりんはぐんぐん力を伸ばしました。まるで水を得た魚のようでした。

大阪北浜は、江戸時代後期から明治初頭にかけ、日本有数の文教の中心地でした。 蘭学者で医者もあった緒方洪庵は、当時多数の死亡者を出していた天然痘の予防のための種痘所を開設しました。自分が学んだ知識を社会のために役立てた実務家です。

11月は大学入試の第二波の時期。夏のAO入試に続き、11月は公募制などの推薦入試が続きます。筆記試験タイプあり、小論文と面接タイプあり。生徒達はここで初めての大きな試練を迎えます。春霞塾も、志望理由書と課題レポートの準備をする季節を迎えています。 かんちゃんは社会福祉を学びたいという志を持って、春霞塾の扉を叩きいてくれました。高校生時代に参加したボランティアと校外活動は10を超えます。高齢者や子ども達とふれあうだけではなく、1年間に渡る模擬国連参加プロジェクト、各国から青年を招いて5日間合宿しながら議論を繰り返す合宿の実行委員など、国際的な活躍をした経験もあります。

10月24日、多文化共生教育相談ルーム等の主催した「~みんなで考える多文化共生シリーズ~学校、職場、近所にムスリムが。その時どうする?」に、リョウタ君とニコラさんが出席しました。今日のブログはプロジェクト・マネージャーのリョウタ君からの報告です。 大阪に生まれ、パキスタン人との結婚を機にイスラームに改宗したのはスピーカーの里歌さん。一女二男のお子様をもうけ、通わせた学校での困難な経験やその対応を講じてくださいました。